昭和42年01月09日 朝の御理解
昨夜、にぎやかに青年会の方達が、初の例会を頂きましたが、久保山先生が16年間書き綴って来られたあの御理解集を全部出して、それを囲んで、あの御理解集を囲んで、久保山先生を偲ぶ会をしようというので、ぜんざいなんか作って、そして霊様にぜんざいのお供えをさせて貰って、そしてその昨日は12時近くまで熱心に信心の共励をしております。何時も御理解集を、何処を開きましても本当に、あぁこういう御理解もあった、こう云う事もあったと。
いうならば私の16年間の、私の信心の歩みであり、又は私の口で伝えた、私の日記のようなの、信心日記の様なものでもある訳でも御座いますけれども。色々考え深いもので御座いましたが、最後の42巻がなかばで御座います。そして私はその思うのですけれども、本当にあの、久保山先生のそのお国替えがいかに神定めのものであり、神ながらなものであったかと言う様な事を、もう様々な場合にまぁ感じるんです。
けれども、あの42巻というんですか。死に版ね、死に号と云う事になるでしょう。亡くなられた日にはやっぱりあの四の日でした。様な事から考えてもですね、もういかにその、神ながらであった。神ながらなお国替えであったかという事を、まぁ感じん訳にはまいりませんですけれどね、けれども、こんなに神ながらなものであったと云う事を、なら信心の薄い者に言うても分かりません。
やっぱりあれだけ打ち込んで御座ったのに、しかもあぁいうお国替えであったと云う様な事は、矢張りどうした事であろうかという、やっぱり疑問を残すのですけれどもね。その疑問をこの説明するとか、残す、残しておりますけれども、ここは矢張り私共信心のある者がです、言わばそういう椛目的こういう大きな一つの節目に直面しておりました、まぁ言うならば、その教祖の神様のお言葉の中に、おさび替えというのがありますが、まぁこう言う様な事ぎでしょうね。
おさび替えになるとそう言う人達もありましょうたくさん。ですからその残った人達だけでも、その事が分からせて貰ってその、本当に自分達の上に、自分の信心の上にそれを、確固たるものにしていかなければならんのですけれど、そういう風に頂きますと、昨日の奉修委員の方達が頂いた御理解をもう一遍、もうそれこそ味わって頂いてみなきゃならないという感じがするんですね。
原さんの近所かどうちの方達に、方に対してのそれに対する言わば久保山先生の死に対する所の、まぁ言うなら言い訳的な事が、本当相手には通じない。だから黙ってしまったと云う様な事が、まぁその言い訳的にそれを説明すると云う事はもう是は、味わいのある事になって来ない。そういう時こそ黙って祈らせて貰う。いわゆる分からない信心の分からない人の事を、祈って行くと云う事以外にはないのですけれども、その事をお届けさせて頂きよりましたら、あの口が「口を書いて末」と頂きましたから。
ね、言う事はもう末だ、後、後の後だ。私がおかげを受けて、おかげを持って示して、そして見て御覧なさいって。こう云う様な事があったんだけれども、こう言う風に是をおかげに現して行き、後々の者が、こういうおかげを受けて来たと云う様な、私は事になって来なければならんと思うですね。是はあの、むつやの石井さんの場合だってそうでしたよ。こりゃなら高柴さん達夫婦がお参りしておられますが、もうむつやの事を心配して心配して、もうそれこそ移り変わりにお届けがありました。
近所隣にその評判をですよね、もう清子さんが亡くなられたけんしまえたって。むつやは。そういうお届けが、高柴さん達ありましたんですけれども、どうぞあとが本当に人がいうておるような事でない様な、立ち行きます様なというお願いでした。その時になら田主丸の方達が、赤面弁慶になって、それをどうこうと言うた所で始まらなかったでしょう。それはやっぱり黙って、いうなら今日のむつやの繁盛があると云う事ですよね。例えて言うならば、なら今度のご造営ならご造営でも、それこそまぁご造営の事に限ってはもうおかげの受け頭だとこう思うんですよ。
先日も久富繁雄さんが頂いておられます様に、田代さんがこうがめにが、こうがめにをこう頂いておるわけ、それを頂いてからこう口に入れられてから、くっとこう上げられた顔を、上げられたらそれが何と清子さんであったとこう言うんですね。もうそれこそまさしく、私は田代さんの信心の上に、言わば乗り移ってのその霊の働きがありよると云う事を感じん訳にはまりりませんし、是はむつや全体の上にそういう働きがありよるという事を、感じん訳には参りません。
それからずっと、例えば是は、年々是だけの借金払いをしても、やっぱり15年間は掛るっち言うて、茂さんが経理してから、とてもこんな経理は自分じゃもう難しかって言いよりました、本当に、あの当時。それがどうですか、何年間の間におかげを頂いたんですから。そしてなら現在の、段々繁盛の糸口というものを作って行きよりますようにですね、ですからもう本当にその先の事は分からんのです。
で私共信心させて頂きます者。ふるい残った者だけでもです、そこんところを一つ本当に分からせて頂いてから、おかげ蒙っていかなきゃならん。そして同時に思います事はですね。神の事をとやこう言うのも神のヒレイじゃと、仰る事を一つ分からにゃいかんと思うですね。 昨日、あの久留米の井上峰子さんが奉修委員の祈念の時には参ってなかったですかね。参ってなかったですね。
なら直ぐその後に参って見えましたんです。今日遅くなしましたちいうて参って見えましてから、その今度の是も、久保山先生の亡くなられたと云う事に対して、その主人がどう言う風に言うだろうかと。その丁度旗崎の教会に、あぁ云う様な事故でが何時かた事がね。お参りの途中に。あれはあの、殺されなさったと云った様な事故があったんですよ。だからあの、そう言う様な事を例にとって、久保山先生の事とは言わんけれども、そう言う風に言われて。
けれどもその、まぁ黙ってその神様にお願いさせて頂きよりましたら、あのお葬式の日にどっか、あの甘木の方かどっか行かれましてですね、そして帰って、ここに寄られまして。それでその玉串料、親先生にごあい、おらんな丁度お説教なかばに見えて、親先生のお説教頂きよったら本当に有り難い事じゃと、帰ってその話されたそうです。それでもう今日はあのお参りさせて頂いたそれで、もうそれを自分の事の様に嬉しかったというて、昨日お届けしております。
是もあの久富組のみちこさんがここのお葬式から帰られてから、主人の実さんが言われる事、そりけん言わんこっじゃあるめいが、もうお前どんが朝早から晩やら参ってから、もうもしもの事があったらどうするか、却って神様の顔に泥を塗るじゃないか。その、こっちもその言われるけどその、ちょっともやもやしたもんだけんですね、あのおとなしい人が言わっしゃったげな。私は椛目に参って死んだぶんなよかっち、言うただけなら、それから実さんが腹かいて腹かいてですね。
お前が死ぬのはよかろうばってんか、私どげんなるかち言うてからその夫婦喧嘩じゃったそうで御座います。それをまぁ昨日ここにお届けされるんですよね。そしたら昨日朝その、もうえらい早う起きっちゃるそうですもん。どうしてあたこげん早かとお前を今日はあの美登里会、あの奉修委員で朝参りするじゃろうと思うちから、まだまぁお前があの行く前にご飯食べさせて貰おうと思うちから、起きたっち言うてから。
もう主人ちゃあはあげん口じゃ言いますばってん、心じゃ思うてくれておると云う事をね、感謝させて頂きましたちいうてから、昨日はそのご飯食べさせてから出てきったからちょっと遅くなったと言うて。あの昨日の奉修委員の参りにも参って来ておりましたがですね。そういう実に、実にデリケートな時にあるんですよね。昨日も青年会の、そのぜんざい会を、がある、でしたもんですから、自然正月の事ではありますし、なんじゃらその青年部会その雰囲気がですね。
その一つもそのこう、あれだけ沢山な者が集まって、しかもれきれきばかりが集まっておる訳ですもんね。にも関わらずその、なんか信心の、あの大川の井上さんなんかは歩いて参って来たっち昨日は。まぁこれが日頃念願だったからでですね。もう本当に久保山先生の霊様に、あれに応えるってまぁ、あんな辛抱強い方であった。あぁいうというその、先生の修行の事を思うたらですね、そういう何か衝動的な、その感じがしてですね、大川から歩いてお参りさせて頂いたっち。でちょっと遅うなりました。
まぁだあんた二十幾つ位の娘さんですよ。そういうその熱烈なものを持っとるけれども、なんか雰囲気が一つもこう信心共励の雰囲気が生まれてこない訳なんです。でまぁ豊美がもう、それこそ青年会全部の事ばその相手にしてから、その喧嘩して今降りて来たち言うてから泣いて降りて来ましたもん。それでね、私が申しました。もう本当言うたら今の椛目の、いうならばもう一番峠というか、最低というか、こういう大変な事があった後というものは、非常に大事にしなきゃならん時だと。
それに例えばんなら、お前が、自分の信心が出来てがばしおる様に、今朝からも、お前がお知らせを頂いてから、こういうおかげを頂かなければならん。本当言うちゃならんと。と言う様なその、ただ祈って行くだけだと云う様な事頂いておってから、そげな事じゃいけんじゃないかと。というて、私まぁ懇々と話した事が御座いましたけれども、自分としては何か治まらないものが御座いましたでしょうけれど。
まぁ暫く御祈念させて頂いてから、それから又2階に上がって皆にお詫びさせて頂いたさぁそれから信心がだぁとその、いわゆるじゅ、大体がまぁ10時まで何時も終わる事になっとりますもん青年会は。時間励行です。けれども、それから又2時間、まぁそれこそ今までにかつて無かった様なその、いわゆる久保山先生の信心の御理解集をいっちょいっちょ頂かれてですね、その信心の共励にうつったと。
それで、愛子が帰ってから、姉ちゃんがあげんしとるばってん、やっぱ本当に姉ちゃんな偉いと思うたっちいうちから、その言いよりましたけれども、まぁそう言う様な事からでもですたいね。そういうその、何かちょっと次ぎは椛目の人達は一つの熱情を持ってはおるですけどもね。何かそういう一つの、まぁデリケートな雰囲気の中にあると云う事を、例えばこうやって朝の御祈念でも参れる方達だけでも、それを頂き続けてですたいね、そしていわゆる口は末の事だと。
問題は私共が信心を持って示して行く以外にはないんだと。という事をですね、私は昨夜から強く、まぁ感じさせて頂いて。成程神様が御理解下さったように、そこんところに信心の味わいを分からせて貰うと云う事。黙っておるとその時言うた方が良い。昨日もここに近所の方々が参って来てから、お詫びなりそのお願いなり参ってから近所のあの金光様の久保山先生は、あの死なっしゃったげなのっち。そしてあんたあの自動車に敷かれしゃったつじゃったげなじゃないの、ち。
それけんなんのっち、言うちから、言うたっち、その言われる訳なんです、そりゃしかし、そりゃ事実だから、言われたって仕方がない事ですもんね。片一方としては、こうその私に、当て付けて言わっしゃったち、言う気がするもんですから、その、ほんならどうして、それけんどうしたのっち、言うてから言うたって、いうてほんに、自分のながら言うてから、もう本当に相済まんじゃったと、いうてからそのまぁ、お詫びに出て見えたんですけれどもですね。
まぁそりばってん、あんたこげんおかげ頂いてからっ、てなんてんて言う事は何もいらんって。事実は、例えば、申しますならもう、何処をどう考えても、久保山の子供達のお一人一人が言うておる様に、父のお国替えが、神ながらであったと云う事を、感じん訳には参りませんと、云う様にです、なら御理解集のそれ見ましてもその、成程ここに、お国替え。是はあの、昨日学生会で、あの順子さんですたいね、あの孫の、いわゆる、その発表しておったそうですが。
おじいちゃまがどうして親先生にお届けしなさらじゃったじゃろうか、と云う事があるそうですね。今度は正月におじいちゃまはね、もう自動車にしかってバラバラになって葬式してもらいよる所ばお夢頂いたっち。だから今年はいよいよ自重せにゃいかんち言うてその、話されたそうですたい。だから自分自身としてもですね、そう云う様なその、おかげを受けておられたと云う事。
しかも本当にそれはおかげを受けられた、受けておられたのであって。そのおかげ受けておられたのを、ならおかげ受けておられたと言うたんじゃ、信心の浅い者やら信心のない者が分からん。死んだが何がおかげの。としか言いやしませんのですから。問題は、信心とはそういうもんじゃない、信心とはこうだと、信心とはこうだというものを本当に自分の身を持って現して行く以外にはないっと云う様な事を感じさせて頂くですね。
どうぞ。